これまでのわたし
あらためまして「系図企画」運営者の古藤勝広と申します。あくまでも参考情報ですが、行政書士の肩書きもあります。
通常、行政書士がみなさん個人とご縁あるイメージには、「遺言書」の文案を書いて差し上げるとき、「相続」の手続を代行するとき、クーリングオフや催告に関する「内容証明郵便」を出すとき、債権債務に関する「契約書」を書いて差し上げるときなどでしょうか。
う〜ん、地味でネガティブな印象…家系図とも結び付きませんよね。
開業前には、地場福岡の書道通信教育会社に勤務していました。
所属した部署では、おもに通信教育会員を対象とした書道講座の会場手配、案内書の作成、発送、受付、講師やスタッフの出張計画、乗車券搭乗券類の手配、旅費精算業務にたずさわりました。
講座の開催は、年間のべ百会場を超え、それなりに楽しく、忙しい日々が続きました。
当初、おどろいたのは、講座への参加者数の多さです。
1回の講座につき3千円の受講料でしたが、会場によっては百人を超える応募があるのです。
募集は開催地の府県単位でおこなっていましたので、当該府県の教室数、個人会員数により異なりましたが、1回の講座の案内書は多くても6百通程度でした。すごい反響率です。
講座で儲かっていたかというとそうでもありません。
会場費、交通費や宿泊費、講師報酬、通信費、会議費などもろもろで、ある程度の支出が伴います。
遠方への出張では、交通費、滞在費がかさみ、赤字ではないまでも、それほど利益を上げている印象はありませんでした。
そういう一方で、講師すなわち技術職の専門家は、報酬も待遇もよいポジションだなぁと感じていました。
もちろんそれは講師たるべく知識の修得、技術の研鑽、人格形成など、相当の期間、労力が積まれた上に成り立つものです。
講師と立場は異なりますが、技術的に接近する検定職員は、入社直後から毎日、目覚めてから床につくまで、自宅に帰り着いても、休日であってもなお「書く」ことを義務付けられました。
その過酷さは、例えると下積みの「職人」とよぶにふさわしいかもしれません。ひたすら技術の研鑽を積んでゆきます。
入社3年も経過すると一人前の検定員として、課題の添削、段級位を認定するほか、講座へも指導陣として出かけてゆきました。
芯が強く、立ち振る舞いも堂々としています。膨大な練習量に裏付けられた、たしかな自信によるものだと思います。
「職人」たちの「手書き文字」は美しいだけにとどまりません。額や軸に加工することで芸術性、美術性が強調され、表現作品であることを意識させられます。
見る者には、パソコンのプリンターとは異なる価値観を持たせ、廃れることはないと言わしめる訴求力を持ちます。
「技術職、専門職ってかっこよいなぁ。自分もなにかの分野で専門性を身につけたいなぁ」と考える動機付けになりました。
専門職への機会が訪れたのは、30代に入ってからです。
偶然「カバチタレ」なるテレビドラマを見ました。「カバチタレ」とは広島弁で「文句を言う」「屁理屈を述べる」とかの意味だそうです。
カネと権力を振りかざす強者に対し、主人公たちが法律を駆使して、困っている依頼者を助ける姿に多くの共感が広がりました。それは一躍「行政書士」の知名度を上げることにもつながりました。
法律系の専門職であること、試験方式が変り、取り組みやすくなったことをよりどころに約2年費やし、2回目の挑戦をもって運良く試験をクリアすることができました。
さて、この専門性をどう生かすか?いつ生かすか?
すでに所帯を持ち、一女も授かっていた身であり、しばらくはなかなか行動できずにいました。
開業、経営関連の書籍を読みあさり、悩んだり、迷ったりする期間の方がついに試験勉強期間より長くなってしまいました。
そういうモヤモヤした時期に読んだ書籍の中で、業として家系図作成の分野を開拓した行政書士の存在を知ったのです。
多少違和感はあるも、地味でネガティブな行政書士業務の中、唯一、好奇心をくすぐられる異色の気になる分野でした。
ですが、家系図関連書籍を数冊購入するも、家紋や苗字研究に関する比重が多く、わたしのイメージとは遠く異なっていたのです。読み進められず、家系図への思いは一旦お蔵入りするのでした。
会社でのわたし
一方、わたしは会社でも悩み、迷う日々を送るようになっていました。
入社当時、大盛況であった講座も、参加数が減少傾向に転じていたのです。
遠方での開催は、不採算となり、見直しの検討を余儀なくされました。
講座へ派遣するスタッフの削減や、滞在日数の短縮など思いつくことは試してみましたが、支出の削減だけでは、解決したとは言えません。
あわせて参加数を上げる工夫も求められますが、なにをやってよいか本当に分からなくて手が打てない状態でした。
もっとお客様と接触して、ニーズの変化に対応し、ご満足いただける新しい価値を創出する視点があればよかったと思います。
いつまでも専門性を生かせないあせり、会社でも問題改善できない閉塞感に突き動かされるように退職届を提出したのでした。
会社に対しては、かわいがってもらい感謝しています。貢献も寄与もできないまま去ったことには申しわけなく思っています。
各都道府県にある書道教室の先生方にもかわいがってもらいました。
もっと地域に対する応援、サービス向上や新しい価値の提供を考えなければなりませんでしたのにできませんでしたこと悔やまれます。
いつかなんらかの形で、自己の専門性が生かせることあれば、ともに恩返ししたいという思いです。
行政書士登録以降のわたし
あせりに突き動かされたとはいえ、なにもビジョンがなかったわけでもありません。
わたしのモデルとするところは、専門業務の特化とインターネットを駆使した集客で、成功を収めた諸先輩方でした。
成功例にならい、相続と遺言に特化したホームページ作成にあわせ、みなさまのお役に立つべく相続と遺言関連図書も3冊、パソコンで読む電子書籍というスタイルで作成しました。
作成には実に半年を費やし、合計7百ページにも及びました。

ところが、当初の思惑に反し、サイト訪問者はいっこうにありません。
だれも読んでくれない日々が続いたのです。
ホームページは、キーワード検索か関連ページあるいはメールからのリンクから訪問者を集めます。
考えてみますと「相続」とか「遺言」のキーワードはすでに競合ひしめいており、文字検索の上位表示は、至難の業でした。
電子メールのリンクから訪問してもらうにも、そもそもメールを送るリスト自体がありません。
インターネット上での集客は、もろくも失敗に終わるのでした。
「そもそも相続、遺言業務は、地域密着のものである」気持ちは、まだ前向きでした。
電子書籍をCDにコピーし、人の集まる場所で配布してもらおうという考えで200枚ほど準備しました。
「みなさまのお役に立つもの」を「無料進呈」するのだから、設置先にはなんの不利益もないはず。
公民館、自動車ディーラー、開業医など控室に図書類の設置棚がある施設に対して、飛び込みで設置交渉をはじめました。
そこでも思惑は外れます。
公民館では丁寧に対応くださるも、そこが公共施設である以上、宗教、政治はもちろん、事業者の営利につながる要素があれば、みなさまの役に立つ無料図書でも、設置はできないとの説明でした。
開業医では、門前払い…と言いますか診療中に交渉時間を割いてもらえるはずもありませんよね。
自動車ディーラーでは「相続、遺言」は、そのひびきから「死」とか「事故」を連想させ、お客様の心理にも影響するのですよ…と遠回しに消極的です。これは、開業医にも当てはまることでした。
冷静に考えるとまったく畑違いのところに種を植えようとしていますよね。見当違いもはなはだしい…
わたしが打たれ強ければ、すぐ次の手に打って出たでしょう。
ですがもう、心はズタズタでした。おのれの甘さ、浅さ、おろかしさを思い知りました。
それ以降しばらくは、毎日、妻と娘を送り出した後、家に引きこもり、ぼんやりとすごしていました。
この半年間、自分のしてきたことは、一体何であったのか?これからどうすればよいのか?
世間からの疎外感、孤立感が増し、胸が苦しく、頭痛もします。
生産性のない無価値な時間が経過してゆきました。
いっそ廃業し、就職してしまおうか?インターネットの求人欄は派遣採用ばかりです。あ〜これが二極化、格差社会なのか〜。現実を思い知ります。
夕方には、家族3人がそろい、会話を交わすことで昼間の不安も紛らわすことができました。
それでも夜はさまざまなことが頭をよぎり寝つけません。
となりで眠っている娘の寝顔に一瞬、心癒されます。
娘への慈しみの感情がわいてきます。するとふと妻の両親の気持ちが浮かんできました。
慈しみをもって育てた娘。その夫といえば、会社も辞め、収入もなく娘1人に稼がせている。孫も不自由しているのでは…かわいそうに…
実際は、妻も義理の両親もそんなそぶりはみじんも見せず、しずかにやさしくみまもってくれていました。
ですが、娘が心配や苦労することなど、親の本意であるはずがありません。わが娘のことに置き換えると怒りすらおぼえます。最低です。
まさにわたしは、その当事者であり張本人でした。
飛び起きて書籍を読みなおし、起死回生のヒントを必死で探しました。
「とにかく行動を起こさなければ!次の手は?なにがあったか?」
そして、過去に忘れ去っていた家系図作成の分野で気付いたのです。
「いつの世代でも、親子は慈しみの感情でつながっている。家系図は、その象徴ではないか?」
理念のようなかしこまった考えではありません。
子を想う慈しみの感情が、家系図作成の動機とマッチしたのです。
「とにかく家系図を作ってみよう!」ですが、てもとの書籍では、家紋や苗字研究に偏り、わずかに家系の調べ方、系図の記載方法が示してあるのみでした。
おもに情報は、インターネットで探し、あわせて具体的にどのようなニーズ、サービスがあるのかも、研究してみることにしました。
意外なことに、すでに競合はあるも、多くは家系調査が主体でした。
家系調査結果をパソコンデータ化してCDにコピー、用紙にプリントアウトして、ともに引き渡すものです。業務は、それで終了です。
装飾に対応するも、プリンターで出力したものを簡易な表装で引き渡し。…なんとなくわたしには淡白な印象が残りました。
もちろん、これまで業界を育ててこられた先輩方の功績に対する敬意もあります。立派なサービスであると思います。
ただ、お客様の立場で考えると家系調査にかかる報酬は結構な負担でないかな?と思います。おそらく報酬は、調査というより、整然なるデータ作成に対してのものであると思います。
家系調査自体は戸籍の交付請求と読取がメインで、それほど困難というわけでもないので、趣味感覚であったり、お時間の余裕がある方なら、わたしは、お客様自身でなされることをお勧めします。
ただし、戸籍の交付請求で取得もれがないのが前提です。厳密にいうと、昭和30年代以降に編製された没年の記載ある戸籍がもれているケースは、結構あったりすると思います。
普段忙しかったり、データとしての高い完成度を求められたりなさる方もあるはずです。そのような方には、一定の料金を頂くとして、自分で調べてみたいという方には、少し低い料金設定で、お客様とのリレー業務的なサービスがご提供できたらよいのになと思いました。
わたしは、先輩方と違う路線で「装飾加工主体で売り出そう!」と思いました。毛筆筆耕、表装まで対応した業者はまだ稀のようでした。
それと、装飾加工ご注文のお客様には「お客様とのリレー作業でかつ簡易なデータ作成であれば、無料でご提供して差し上げよう」と思いました。
装飾加工技術においては、幸運なことに毛筆筆耕および巻物表装では前職つながりで思い当たる方がありました。わたしはかつて書道業界に在籍していました。
また、ありがたいことに弟から「会社でアクリル板や金属板に文字やデザインをレーザーで彫刻する技術がある。家系図で商品化しないか」という、提案もありました。
新旧の装飾加工技術に対応すれば、他との差別化も明確にできます。早速、自身の家系図でサンプル作りに着手するのでした。
何のため…
そのサンプルの作成期間中の話です。休職療養中の友人と出会う機会がありました。
最初は、大病を患い、健康上の不安をかかえている相手に対し、何と言葉をかけてよいものか戸惑もありました。
ですが友人はあくまでもおだやかで、以前とまったく変らない様子で接してくれました。逆にこちらが励まされた思いです。
療養中、いろいろな人と話す機会が増え、多くの本も読み、人生や仕事に対してもゆっくり考えることができたそうです。
「何か、哲学的で、悟ったみたいに思われるのは嫌なんだけど…」と釘を刺した上で「科学的根拠はないんだけど、人間は消えたあと、宇宙の出発点に戻る…」ふうな話を知ったそうです。
わたしも会話の内容は、そのまま正確には伝えられませんが、抜粋し、わたしの理解で、アレンジを加えた上で述べてみます。
すなわち、宇宙のスケールで測ると人間の一生は、極めて一瞬、小さい点みたいなもので、寿命の長い、短いに差などありません。そもそも、この宇宙で自身が存在したこと自体が奇跡で、価値のあることです。
考えてみると、とても不思議です。偶然にもこの太陽系の中で「居住可能領域」の狭い範囲に地球がありました。その地球に偶然生命の源があったから、今こうして植物が生い茂り、人類も存在できています。
「居住可能領域」とは、水が液体で存在できる領域で、太陽系では地球の軌道の少し内側から火星の軌道の外あたりまでが生命が存在できる領域に相当します。
水星や金星では水は蒸発し、木星より外では凍ってしまいます。もっとも木星や土星はガス惑星なので生命体が暮らすなんてできません。
他の恒星で惑星が存在したとしても「居住可能領域」に都合良く地球のような岩石型惑星が、少なくとも数十億年間安定して存在しないと知的生命体は出現できません。
わたしたちの身体は水で出来た細胞の集合体です。それが宇宙服もヘルメットも酸素ボンベもなく、こうして宇宙で存在していられること自体も、もう奇跡に近いことです。
わたしたちを守っている大気層は、地表から20kmです。大気層の厚さなんて、地球の直径に比べたらわずかその0.15%に過ぎません。
地球を直系15cmのリンゴに例えれば、0.2mmの大気層の薄皮が貼り付いてる程度です。
大気層を出ればそこは無の空間、死の世界です。
薄っぺらい大気層に守られてかろうじて生きながらえ、わたしたちは、気の遠くなるほど長い時間を掛けて、ようやくここまで進化しました。すごい世代数をリレーしたことでしょう。
ところで、友人の言う「宇宙の出発点」とは何ぞや?…気になりました。
あとでインターネットで調べてみると、137億年前、小さな点であった宇宙は、ビッグバンなる現象によって誕生し、以降、膨張を続けているらしいのです。
「光年」なる距離の単位は、よく耳にしますよね。「1光年は、光速で1年間に進む距離」です。光は1秒で地球7週半分進むので、1光年はその60倍の60倍の24倍の365倍です。文字通り天文学的距離です。
その理屈では1光年離れた場所からは、1年前の映像である光が見えているというか届いているわけで、100光年離れた場所には、こちらの100年前の映像が届いていることになります。
137億光年離れた映像が届いたなら、宇宙の点であった状態も見える理屈です。また、こちらから137億光年離れた場所では、やっぱり始まりの点の映像が届くのでしょう?
つまり、どこか遠くの空間では、宇宙の始まりの映像が届いている理屈です。
そんなことも考えてみると「宇宙の出発点に戻る」の意味も、科学的な考え方に基づいているようで説得力もあり、あながち根拠がないこともないような不思議な気持ちになりました。
友人との会話は、わたしの仕事の話題にも及びました。最初の事業でまったく反響がなかったこと、あらたに家系図に参入すること、そのための集客や営業のテクニック的な手法についてわたしは夢中で語っていました。
友人は言います。「稼ぐのも大事ね。でも、何のためその仕事をするの?お客様のためであることは大事にしてね。いろいろな境遇、立場のお客様があるから、その人に応じたふさわしいアドバイスを考えてあげてね。お客様に満足してもらい結果的に自分も満足であることが大事よ」
まったくそのとおりでした。わたし的には、言う前に言われてしまった感覚でしたが、確かにテクニック的な話題に偏っていましたし、これまで読んできだ本も実用書に偏っていました。
わたしには実によいタイミングで、貴重な意見、気付きを得たありがたい有意義な面会でした。
友人に深く感謝し、心から全快をお祈り申し上げます。
さて、家系図をご提供する上で、お客様の気持ち、境遇、立場をあらためて考えてみます。
・好奇心、知的欲求が旺盛で、自己のルーツに高い関心をお持ちの方
・お子様、お孫様のご誕生で世代が増えた記念を祝う方
・ご結婚で両家のご縁を祝う方
・ご長寿、金婚・銀婚式の記念を祝う方
ワクワク感やおめでたい動機がある反面、
・健康、生活面で不安があり、その改善を求めご先祖様をご供養する方
・亡くなったご親族様を偲び、ご供養する方
心のよりどころを求め、寂しさ、悲しみを癒す目当もあることにも気づきました。
同じサービスでも、確かにお客様によって意味が違います。
めでたい事例なら、お客様とともに喜び、心のよりどころ、癒しを求める事例なら、お客様の心中を察した思いやりのある接客に努めたいと思います。